カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の感想 サイトマップ
注目キーワード
RSS
 ベレスタ     ラッカー製品         インテリア     

ロシアのエナメル細工フィニフチ~400年の伝統

フィニフチとは

「フィニフチ」とは、「エナメル細工」を意味するロシア語で、ギリシャ語の「明るい、きらめく石」を意味する「フィンギチス」が語源となっています。このきれいな手描きの柄は七宝焼きに似ており、私たち日本人にとってどこか懐かしく、とても親しみを持てる芸術作品だと思われます。



フィニフチのガラス部分に描かれている柄は全て職人による手描きで、全ての作品が世界で唯一のものと言うことができます。柄を描き、高温で焼くことは陶器の製法と似ています。

金属の土台に載せたガラス細工は800~900度の高温で焼かれ、大変強靭、頑丈な作りになっています。また、その色合いは永遠に褪せることがないと言われ、一生涯、作られた当時の鮮やかさと輝きを保つことができます。

現在ロシアで「フィニフチ」に従事する職人は250人に上ると言われていますが、最も高品質と言われているのは、ロシアの首都モスクワから北へ230キロに位置するロストフ・ヴェリーキー(大ロストフ)という小さな街で作られているものです。この古い街での「フィニフチ」制作は、17世紀後半から続く長い歴史を持っています。

当店のフィニフチは全て、ロストフ・ヴェリーキーで制作されたもです。


大切な女性へのプレゼント

このどこか懐かしいフィニフチは、ロシアで昔から大切な女性へのプレゼントとして利用されてきました。大切な伴侶(妻・恋人)へ、または息子から愛する母へ、父から成長した娘へ、兄弟から姉妹へ、小さなものなら女友達へ。大切な男性からいただいたこの永久に色あせない、美しく個性的なアクセサリーは一生の宝物になるはずです。

白樺とベレスタのショートコラム

  白樺という木
 ロシアでは昔から、白樺という木が重視され愛され、白樺についての詩が多く作られました。白樺は多くの点で役に立つ木なのです。
 白樺の木質部(皮と幹の間の堅い部分)は色が明るく、とても丈夫で温かく、工芸品や高価な家具の材料として重んじられてきました。
 この美しい白樺は全ての部分が治癒の用途に広く用いられています。白樺はいつも医者のような役割を担ってきました。白樺から取れた精油はマッサージに使うと関節の痛みを和らげる効果があるそうです。木質部からは活性炭が作られ、火を焚いても一酸化炭素中毒の心配がない。白樺タールは肌の不調を整えます。白樺の煮出し汁で頭を洗うと抜け毛予防になります。


ベレスタ
 「ベレスタ」とは、白樺の上皮のことです。
 また「ベレスタ」とは、様々な製品を作るのに優れた材料です。それは環境に無害で耐水性があり、美しく丈夫で柔軟性があるので形成にも適しています。比重が軽く強度があります。
 ベレスタ製品は湿気に強く、長持ちします。大ノブゴロドの発掘調査で見つかった800年以上前の書類はベレスタで出来ていたのですが、ほとんど劣化がありませんでした。地下に埋められていたにもかかわらず腐敗しておらず、当時の人々の生活についての独自の記録をしっかりと保存していたのです。




 密生した森を通る時に、白樺の幹が切り倒されて放置しているのに出くわすことがあります。そのように切り倒され放置されると、ほとんど中が空洞になるか、内部がもろくなってしまいます。しかしベレスタとして用いることができる上皮は完全で、切り倒され気候の変動の影響をうけながらも無傷で残ります。このことからも、この素材の耐水性と強度を証明できます。 500年前から、ベレスタは西シベリアの人々にとっては、そこから何かを生みだす材料としての樹皮でした。またそれだけでなく、危険から身を守り、人生を罪のないものにするための「お守り」としてベレスタを保持していました。
 ベレスタの特徴は遠い昔から知られていました。樹皮は多層構造なので魔法瓶(サーモス)の効果があります。ベレスタを二枚以上重ねて蓋付きの容器を作ると強度が増すばかりでなく、そこに料理を食器ごと収納すると作られた料理の温度を長時間保ってくれます。温かい液体は長時間冷めず、冷たいものは長時間冷たいままです。
 まだ十分に研究されているわけではありませんが、ベレスタの防腐作用は広く知られています。牛乳をベレスタのキャニスターに入れると他の容器に入れるよりも保存が効き、パンは一週間もの間、カビが生えることがなく、やわらかく、新鮮なままで保存できます。太古の昔から小麦粉もやはりベレスタの容器に入れて保存されてきました。ベレスタに入れると虫がきて痛むことがないのです。塩や砂糖はベレスタの容器に入れると、湿気の影響を受けたり固まったりすることがありません。

マトリョーシカの歴史

マトリョーシカの起源は日本??

ロシアのおみやげとして有名なマトリョーシカ人形ですが、そのルーツは何と、日本だという説があります。19世紀末、箱根にキリスト教の一派であるロシア正教の保養所がありました。箱根には七福神を象った「福(ふく)禄(ろ)寿(じゅ)」という入れ子型の人形がありました。ロシア正教の僧侶がモスクワに持ち帰ったその人形こそが、マトリョーシカの起源だという説があります。その説について、少し詳しくご紹介しましょう。

最初に作られたマトリョーシカと箱根の入れ子人形




1890年代に、モスクワのおもちゃ工房「子供の教育」社に、マモントフという人物が七福神フクルマ(訳注・日本では福(ふく)禄(ろ)寿と呼ばれた(じゅ))の人形を日本から持ち込んだ。その人形は、内部に入れ子構造で複数の人形が入っていた。工房の木工職人ズヴェズドーチキンは木を削って入れ子でしまえるような同形の人形型を制作し、それに絵描きのセルゲイ・マリューチンが少女や少年をモチーフに絵付けをした。世界初のマトリョーシカは、サラファン(ジャンパースカート)、前掛け、頭のスカーフに、鶏を抱えた庶民の娘が描かれ、8ピースで作られた。少女たちの絵は次には少年になり、最後は赤ちゃんの人形になった。
当時、女性の名には「マトリョーナ」というものが多かった。その愛称から「マトリョーシカ」という呼び名が現れた。現在、「マトリョーシカ」というのは入れ子構造になった木製の人形のことのみを表わしている。
 1900年代のはじめに、「子供の教育」工房は閉鎖となったが、マトリョーシカの生産はモスクワから70キロほど北に位置するセルギエフ・ポッサードという街の教育工房に引き継がれた。当時のマトリョーシカは高値で売られていたが、それでも人々を魅了したので、需要も高くなっていった。マトリョーシカの生産はセルギエフ・ポッサード全体にすばやく広まり、イワノフの工房、ボゴヤブレンスキイの工房が現れた。マトリョーシカの創始者の1人ヴァシーリー・ズヴェドーチキンもそこに移った。セルギエフ・ポッサード付近には森林が多く、そして何より、熟練した木工職人が多かった。マトリョーシカの生産は大変盛んになり、メーカーにはパリからの注文も入り、そしてドイツの有名なライプチヒ市場で販売されるようにもなった。
20世紀のはじめに、マトリョーシカの大量輸出もはじまった。マトリョーシカの絵付けはカラフルに、多種多様になっていった。娘の絵は、サラファンにプラトーク姿、そして籠や包み、花束を持った姿で描かれた。牧笛を持った牧場の娘の姿や、大きな杖を持ったあごひげのおじいさんや、口髭の新郎、ウエディングドレスの新婦のマトリョーシカなども現れた。作家の想像は限りない。マトリョーシカは実にさまざまなテーマを持つようになったが、それは最も基本的な目的---サプライズをもたらすためである。たとえば、新郎新婦のマトリョーシカの中には親戚たちがいて、結婚の日付が書かれている。家族のテーマの他には、マトリョーシカ作家の博識から生み出されたテーマもある。作家ゴーゴリの生誕100年記念として、喜劇『検察官』の登場人物をモチーフにしたマトリョーシカも作られた。1912年、ボロディノの戦いから100年経過の年に、クトゥーゾフとナポレオンのマトリョーシカも現れた。彼らの中には、戦友、参謀、戦いへの参加者が次々と入っていた。フォークロア(民話)をテーマとしたマトリョーシカも多い。「大きなかぶ」、「金の魚」、「イワン王子」、「火の鳥」などが描かれている。マトリョーシカが多様になっていったのは絵付けだけでなく、入れ子の数も増えていった。20世紀の初めにはセルギエフ・ポッサードで24ピースが、1913年にはニコライ・ブルィチェフが48ピースマトリョーシカの記録を達成した。その同年、セルギエフ・ポッサードには、木工業のアルテリ(組合)が創立。つまり、マトリョーシカの需要は高まり、かなりの収入が見込まれたからである。

 
現在のセルギエフ・ポッサードとマトリョーシカなどの露店

 マトリョーシカは、セルギエフ・ポッサードから遠く離れたニジェゴロド郡セミョーノフ地区でも生産されるようになった。そこでの作品は従来のものとは異なるものだった。セルギエフ・ポッサードのマトリョーシカはどちらかというと、ずんぐりした、太った体つきをしているが、セミョーノフのマトリョーシカはスリムで背高で、活気があり、鮮やかなショールをはおった美人が描かれている。
ところで、ロシアにおいて「おきあがりこぼし」もマトリョーシカを起源としている。木と紙の張り子で作られた最初の置き上がりこぼしは、セルギエフ・ポッサードのおもちゃ学術研究所で作られた。このおもちゃは音も鳴らすことができ、熱圧縮という新しい手法を用いて作られたのである。この手法の考案者は、イヴァン・モシキンである。人形の内部に鉄の重りをつけ、横にしても元の立った状態に戻るようにしたのである。

情報は 
http://ma333.narod.ru/misk/history.htm から翻訳しました。太字は訳者による強調。

(TOPにもどる)

ページトップへ